月下百鬼道中 2.【月下の出会い】 7話 月と薔薇

 トッポの話をもとに丸岩へ続く一本道へ入るところにたどり着く。ここはトッポがいた滅びの村を出て南東に向かって平原を超えたところにあり、たどり着くと月は高く上って、もうすっかり夜になっていた。辺りは暗いが、今夜は雲一つなく月が明るいおかげか周りを見渡せないことはない。

 この道の始まりには石柱が道を挟むように立っていて、しめ縄が付いている。ここだけ他の場所とは雰囲気が違い、異質な感じがする。文化が違う…と言えばいいのか、ここだけ時間が止まっているように感じる。

 そんなことを考えている間、隣にいたローザは屈伸をしていた。


「ふぅ〜…だいぶ歩いたね。」


「大丈夫?休んでから奥に行こうか。ローザがいいなら野宿の準備もしてきたし。」


「ううん、大丈夫。トッポが言ってたのがなんなのか早いとこ気になるし、いこ。」


 いつでも戦えるように剣に手をかけておき、ローザを先頭に道を進んでいく。

 …何かいる。歩いている間、そんな確信があった。丸岩へ一歩、また一歩と近づくたびに妙な圧迫感を感じるのだ。


「…何か、いるね…。」


「……慎重に。」


 そして丸岩へ続く最後の直線の道手前の曲がり角から、ローザは気配のする方を覗いた。


「------」


 その瞬間に彼女の動きが固まった。いたのだろうか。トッポの言っていた何かが…。

 ローザに続いて覗いた時、彼女がそうなった理由が、よく分かった。

 …一匹の獣。月明かりに照らされ白銀に輝く毛を持った体。それは月明かりを反射しているかのように淡く輝いている。

 遠くからでもかなり大きいと十分に分かるような体を小さく丸めて静かに寝ている、狼だった。

 丸岩を背に寝ているその光景は、まるで何か絵のようだ。


「……綺麗…。」


 ローザが思わず口にした言葉に反応したのか獣の耳がピクッと動いた。ローザは、はっとした後、顔をひっこめて曲がり角に隠れた。僕もつられて引っ込む。


「(~~~!ごめんタビト…!)」


 いいよ、と言いながらもう一度確認しようとして顔を戻す。

 と、その瞬間、視界にさっきの獣がこちらを覗き込む姿が飛び込んできた。


 ----やば。


 獣はこちらをじっと捉えている。


「……………」


 沈黙が続く。

 いつの間に?音も立てずにここまで近づいたのか?今の一瞬で?

 獣の息遣いと自分の心臓の音だけが聞こえる。

 ほかの情報が頭に入ってこない。

 下手に動けない。こいつは一体何なんだ。

 吸い込まれそうな大きな深く青い瞳がこちらを見続ける。


「…………………………………………………、…。」


 獣は何も言わず、何もせず、すっと顔を引っ込めた。

 緊張していたからかどれくらいその状態だったか分からない。

 ローザは僕の隣で臨戦態勢のまま固まっている。


「………ねぇ、タビト…。」


「な、なに…?」


「……敵じゃない……ってことかな…?」


「……どうなんだろう…。」


 もう一度丸岩に目を向けると、獣はまた寝ている。先程感じた限りでは敵意はなかった。それよりも妙な感覚があった。吸い込まれるような、一体感というと変だけど、そんな感じ。初めて会ったけれど、どこか懐かしさを感じている自分がいた。


「……不思議な感じだ。」


「うん……。…ね、今の子の近くまで行ってみないかな?」


 ローザは立ち上がり、尋ねてきた。

 腕を組み、うーむ、と考える。

 急に襲うこともなく、穏やかな様子でこちらを見ていたし、その様子からこちらを害する意思はないようだけど、正体がわからないものにうかつに近づくのも危ない気がする。

 …だけれどあの存在がどういったものなのか、もう少し確かめておきたい…。

 この体に残る不思議な感覚が好奇心を高めている。


「……気は抜かないようにね。近づいてみよう。」


「うん。」


 ローザはしっかり頷く。

 丸岩へ続く一直線の道へ出る。木の根が階段状になった道を慎重に進むと、先程と同じ体勢で寝ている獣の姿があった。その周囲には、獣の影響だろうか、淡く虹色に輝く小さな光がいくつかふよふよと浮いている。

 白銀の毛を持つ獣の大きさは、人が横になって手足を伸ばしても全長に届くかどうかな程大きく、もしかすると大人一人を背に乗せ走ることができるのではないかというほどしっかりとしている。

 獣はタビトとローザが近づいてきているのに気が付き、目を開くと座ったままゆっくりと体勢を起こす。その目は、じっと二人を見つめていた。

 ローザは獣と少し距離を空けたところまで近づくと獣へ話しかけた。


「あなたは………魔物…だよね?」


 獣はその言葉を聞くと、獣は答えるように尻尾をぺたんと振ってみせた。この世界には人と魔物が存在するが、もちろん動物もいる。多くは人と共存して生きており、また家畜として育てられる。この獣は一見、単に巨大な狼として分類されるのかもしれないが、狼にしては異常に発達した体躯に、周囲を圧倒するような存在感から魔物だろうとローザは判断し、そう聞いたんだろう。

 まじまじとローザがその獣ーー魔狼を見ていると、ふとあることに気が付いた。


「………」


 ローザが魔狼にさらに近づこうとする。すると魔狼はすくっと立ち上がった。ローザが剣に手をかけたからだった。

 けれど彼女は僕にその剣を渡した。


「へっ…?」


「ちょっと持ってて。」


 ローザは一歩踏み出し、手を広げた。


「…ねぇ。貴方の体触ってみてもいい?」


 実はローザはかなりの犬好きだった……いやいやいや、それにしたって大胆すぎるぞローザ。

 彼女の問いに返答するように魔狼はゆっくり座り込む。


「…ありがとう。……うわぁ…もっふもふだよ…!」


 ローザは首辺りを撫でている。魔狼は眼を細めて気持ちよさそうにしていた。

 ほほえましい光景だが、正体は分からずじまい。不思議な雰囲気を持っているが、言ってしまえば単に大きくて白い狼だ。

 …噂話とは無関係…か。

 と考えている間にローザは立ち上がった。満足したのだろう。


「じゃあ帰ろっか。この子は噂と関係なさそうだし。人を襲うような子じゃないもん、この子。」


「りょーかい。ふぁ…う、眠い…。」


「あはは…早く帰らなくっちゃね。」


 ローザは別れのあいさつ代わりに魔狼の耳の付け根を優しく撫でる。魔狼は耳を垂らしまた目を細め気持ちがよさそうにしていた。


「さーってと…………。あれ?ローザ?」


 帰ろうと来た道のほうへ数歩歩いたところでローザが付いて来ていないことに気が付く。振り返るとローザは魔狼の首元を両手でわしゃわしゃと撫でていた。魔狼はされるがままだ。

 魔狼の顔は僕に向けられ、その表情は気持ちよさそうではあるが、先程より少し耳が立ち、ちょっと困ったような表情をしている。魔狼も二人が去ることに分かっているのだろうが、ローザが離れない。


「も…もうちょっと…!…もうちょっとだけ待って…!!」


 ローザが犬好きなのは知っていたがここまでとは…。

 そんなことを考えていると、ふと、魔狼の視線がタビトのいる場所よりも奥、この場所の入り口のほうへ向けられる。


「…?」


何だろう。と、視線をずらしたその瞬間。

ドンッッッッ!という重量を持った何かが地面に叩き込まれたような音が、そう遠く離れていないところから響いてきた。木々に止まっていたであろう小鳥たちも一斉に飛び立つ。ローザが怪訝な顔をして駆け寄ってきた。


「タビト!」


「…今度こそ、化け物かな…。」


「行く?」


「……うん。ここは公国からも遠くはない場所だし、もしそいつだったら被害が出る前に公国にいる冒険者の誰かには伝えたいね。何がいるか確かめたらすぐ戻ろう。戦闘は避けたい。」


「わかった。……。」


ローザは魔狼に向って別れを告げる。


「またね。」

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